学生はなぜ勉強しなければいけないか

学生はなぜ勉強しなければいけないか

学生はなぜ勉強しなければならないのか?
誰でも一度は考えたことがあると思います。

あくまで自分個人の考えですが、今回は物語形式でお話ししたいと思います。

中学3年生のコウイチは今年、高校受験。高校は周りのみんなと同じ、市内の高校に通うつもりです。コウイチの通っている中学校では、一部の優秀な生徒を除いて多くの生徒が半ばエスカレーター的にその高校に通います。学力は中学と同等で、よほど成績が悪くなければまず合格できるレベルの高校です。

「なんでこんなことやらなくちゃならないんだろう? 方程式なんて、将来何に使うってのさ。」

どうやらコウイチは苦手の数学に対し、「意味の無いことをやっている」という思いがあるようです。

 

ある日の夕食後、あまり勉強する気のおきなかったコウイチは今でテレビを見ていました。

「ほら、早く勉強済ませなさい!」

コウイチのお母さんは毎日「勉強しなさい」とコウイチに言ってきます。

「今日はいいよ。やる気でないし。」

「何言ってるの! 万が一でも高校に落ちたらどうするの?」

「大丈夫だよ。それにこんな学校の勉強なんて、将来何の役にも立たないじゃないか。」

横でタブレットを見ながら何か調べ物をしていたお父さんが、一息ついてから口を挟んできました。

「何も役に立たないわけじゃないぞ。お父さんは設計の仕事してるときは三平方の定理使って計算することもあるぞ。まぁ、今はパソコンが大抵の計算はやってくれるがな。」

「僕は設計士になんかならないもん。じゃぁ、鎌倉幕府が1192年におこったなんて覚えて何の意味があるのさ。」

面白くないコウイチは屁理屈で反論します。

「歴史の勉強は、今まで過去の人達がどんなことをしてきて、どんな結果になったってのを知っていれば、自分たちの生活を見直すことができるからだぞ。もっとも何百年、何千年もの出来事をたった数年でやるから、結局暗記するだけで終わっちゃうのは事実だが。」

「とにかく、学校で勉強することなんかほとんどが今覚えたら終わりなのに、やる気なんか起きないよ。」

コウイチが言うと、お父さんはひとつため息をついて言いました。

「じゃあ、なんでその意味の無いことをずーっと昔から人間はやってきたんだ? たしかに勉強した内容はあまり社会で役に立つことは少ないかも知れない。でも学生が勉強するってことには3つの大切な意味があるんだ。」

コウイチはいまいち納得できない様子でお父さんの話を聞いています。

「ひとつはな、社会に出て仕事をするようになると今よりももっと『やりたくないけどやらなければならない』ことが出てくるんだ。仕事はもちろん、仕事以外の生活でもだ。そんなときにそれを全部『やりたくないからやらない』なんて言っていれば、仕事もできなくなってお金がなくなったり、まわりの人達に嫌われたりするんだぞ。
そして、『やりたくないけどやらなければならない』ことは、大抵は『今はよくわからないけど、あとでやって良かったと思える』ことや『やっておいたことで不利益を受けなくて済んだ』ことであることが多いんだ。
そういう、『やりたくないけどやらなければならない』ことが出てきたときにちゃんと集中してできるよう、学生のうちに練習しておくことが学校の勉強なんだよ。」

「二つ目は頭を使って考えるトレーニングだ。
人間は考えれば考えるほど、脳が発達していくんだ。特に子どもの頃は覚えることも覚えやすいし、一生懸命考えることによってどんどん脳は育っていくんだよ。
数学にしても、計算問題だったり図形の問題だったり、どんどんいろいろなことが増えてくるだろ? そういう今まで学んだいろいろなことを使いながら、新しい問題の答えを考えることによって、脳のトレーニングをしているんだよ。
部活でも体力を付けるトレーニングや素早く動くトレーニング、新しい技を習得するトレーニングなど、いろいろな種類のトレーニングをやるだろ? それによって試合でどんな状況でも活躍できる力を付けるんだ。

今はテストの問題は必ず答えがあって、教わっていないことはテストには出ない。
でも、社会に出ると正解がハッキリとわからないことや、経験したことの無い分野の問題がいろいろ出てくるんだよ。
そんなときに、ちゃんと考えるトレーニングを積んで、いろいろな考えた答えの経験を持っていないと、自分で問題を解決することができないんだよ。

学校でいろいろな教科をいろいろな内容で勉強するのは、社会に出てから起きてくるいろいろな問題に対し、ちゃんと正しく理解して正解と思われる答えをできるだけ多くの方法で導き出せるように、『脳をうまく使ってうまく考える練習』をしているんだ。

これが、学生が勉強することの最大の理由だと思う。」

「そしてもうひとつ、『他人にバカだと思われないように』するためだ。ほら、今テレビに出ているこのコ、学校でもよく友達同士の話に出てくるだろ?」

「そりゃあよくテレビにも出るし、人気のアイドルだもの。毎日学校で話題になるよ。」

コウイチは少し照れながら答えた。

「そんな誰でも知っているようなアイドルの話をしているときに、友達の一人が『誰それ?』って言ったらどうに思う?」

お父さんがが聞くと、

「『おまえそんなのも知らないのかよ? ばっかじゃないの? みんな知ってるぞ!』って言うと思うよ。」

コウイチは少し馬鹿にしたように答えた。

「学校の勉強ってのは、だれでも同じように教わることなんだ。つまり学校で習う多くのことは『知ってて当たり前』のことだったりするんだよ。そんな多くの人が知っているようなことを知らないと、『なんだ、そんな事も知らないのか? バカだなあ』って言われるか、直接言われなくてもたいていの人はそうに思うだろ。
そうに思われないように勉強するんだよ。他人にバカだとか思われたくないだろ?

そして、悪い人はそのバカを騙そうとするんだ。人を騙そうとする人は、頭のいい人は騙さない。騙そうとしてるのがバレるからさ。普通の人が知っているようなことを知らないんだから騙しやすいだろうと思われる。そういう悪いヤツに騙されるんだ。」

コウイチもやはり人から『バカだ』と思われるのは好きではないらしい。少し神妙な表情になった。

「以上が学校で勉強しなきゃならない本当の理由だ。まぁ、結局は将来、自分が困るか少しラクに生きられるかってことだからあまりピンとこないかも知れないが。」

納得したようなしていないようなコウイチに、お父さんは話を続けた。

「それと、最初に『やりたくないけどやらなければならない』ことが出てくるって言ったよな? ひとつだけ『やりたくないことの多くはやらなくて良い』ことにする方法があるんだ。」

「何それ?」

コウイチは興味を示した。

「お金持ちになることだよ。
お金持ちになると、普通の人が『やりたくないけどやらなければならない』ことの多くを、お金の力で『しなくても良く』することが出来るんだ。」

コウイチは少し複雑な表情を浮かべた。

「でもな、お金持ちになるためにはさっきの3つのうち、少なくても2つめの『考える力』は人並み以上に持っていなければならない。お金持ちになる人は、学校の成績は悪かった人はいっぱいいるが、『考える力』は持っている。もちろん『考える力』を持っている人が全てお金持ちになれるわけではないが、お金持ちになる人はみんな『考える力』は持っているんだよ。
まぁ、『考える力』を持っていないお金持ちもいるが、そういう人達は全員、親がお金持ちだ。
正確に言えば、学校の勉強は出来なくてもいいが『考える力』はお金持ちになるためには絶対必要、『考える力』は勉強以外でも鍛えることは出来るが、勉強を使って鍛えればそっちのが手っ取り早いだろ?」

コウイチはわかったようなわからないような顔をしながらも、少し考え込み、テレビを消した。

 

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さて、あくまで私個人の考える学校での勉強の必要性ですが、今回の話は『なぜ勉強しなければならないのか』の本質だと思っています。

3つ目の『バカだと思われないために』は、前の二つが少し先の将来のことであり、若い頃にはイメージしづらい社会に出るための礎体力作りのような内容であったために、あえてストレートでわかりやすい、『つかみ』的な意味合いで入れました。

しかし、人間は他人にどうにみられるか、どうにみられたいかということは多かれ好くなかれ意識して生きていると思います。
自分は他人の目はあまり気にしない方ではあり、「他人にどうに思われようが関係ない」という考えの方は多くいると思いますが、本当の意味で『誰になんと思われてもいい』と思う人はいないと思います。全く関わりのない人にはどうに思われようとも、関わりのある人には、すすんで悪い印象を与えようとする人はいないと思います。
何かをやらなければならないときのモチベーションとして、承認欲求のようなものを利用することは時には必要なことだと思います。

確かに、学校で学ぶことの内容そのものは、多くの場合、社会に出て役に立つことが少ないことは事実だと思います。

しかし、勉強で大事なことは『何を学ぶか』ではなく、『それを学ぶことで何を得られるか』だと思っています。

例えば、話の中での一つ目の理由、『やりたくないけどやらなければならないことをする』ことは、自制心や集中力のトレーニングとみることが出来ます。また、それをやることによってその先にどのような未来が待っているかという想像をすることも大切だと思います。
二つ目の『考えることのトレーニング』は文字通り、思考力、想像力、問題解決力などの基礎体力(思考力)作りです。話の中でも触れていますが、社会に出ると全く経験の無いことや明確な答えのないもの、後になっても正解か不正解かわからないものだらけです。
そのようなときに、自分で考え、情報を収集し、その考えと情報が正しいのか間違っているのかの判断を自分で行うことは、学校の勉強をどのような思考の元に行うかによってかなり鍛えられます。
三つ目は先ほど述べたとおりです。

思い返してみると、自分が学生時代、あまり勉強をするタイプでは無かったので、このような考えをもって勉強できていたとは思いませんし、実際の学校教育がこのような意識を持って教えているとは残念ながら思えません(もちろん、このような考えを持っている先生もいるとは思います)。

確かに学生の頃よりも社会に出てからの方が圧倒的に勉強していますし、学生時代の知識や考え方は、大人になってからのそれよりも遙かに少ないごく一部です。

しかし、学生の時にこのような意識を持って基礎体力作りとして勉強をできるかどうかは、社会に出て大きな差になると思います。

野球選手が走り込みや筋トレ、素振りなどをするのと同じように、学校の勉強を言われたからなんとなくやるのではなく、それをすることでどのような結果に繋がるのかを意識して勉強を出来るために、きちんと指導してやることが大人の役割ではないでしょうか。

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